オリオンの空は燃えている

昭和が生んだ怪物はむらケンジのほのぼの日常系ブログ

息をするのは止めれない

何も変わらない退屈な人生…。でも、突然ある日、人生を変えるような体験をすることがあるんだな。三日坊主の僕にとって、飽きる・飽きないの次元を超え、その後の生き方が変わってしまうような体験。

それってどんな体験。例えば、生まれて初めて観た映画である『スター・ウォーズ』。音楽で唯一興味を持ったHIP HOPから「KICK THE CAN CREW」、そして今なお大好きな「RIP SLYME」。やるだけじゃなくて、観るサッカーに興味を持つきっかけとなる、欧州で大活躍している(した)香川真司

どの体験(出会い)もが、今のライフワークやスタイルに強い影響を与えている。僕のアイデンティティを語る上で、そのどれもが欠かせない要素となっている。

そして、2016年、再び多分人生を変えてしまうような体験があった。

2016年NHK大河ドラマ真田丸」との出会いである。真田丸…面白すぎた。三谷幸喜脚本ということで、最初は興味を持った。三谷の別作品の「新撰組!」は特に観てなかったが…なぜだか真田丸には惹かれるものがあった。なぜだかはわからない。

当然、真田のさの字も知らなかったし、真田幸村なんてカプコンやコエテクのゲームでなんか非現実的なことをしてる脚色されまくってる歴史の人くらいの認識しかなかった。堺雅人だって草刈正雄だって特に好きじゃなかった。長澤まさみだってどっちかというと嫌いだった(今は好き)。

真田丸を観る要素は皆無だったにもかかわらず、前述のとおり、なぜだか真田丸には惹かれるものがあり、第1話「船出」からテレビに張り付いてみていた。どれくらいハマっていたかわかりやすく言うと、払っていなかったNHKの受信料を自分から納めたくらい真田丸にはハマった。

NHKの予算の関係で、作品としての描写や演出に文句があったのは事実だが、それでも大河ドラマを全話完走したのは初めてだったし、これからも全話観る大河ドラマは出ないだろう(現に「直虎」はもう見てないし…)。最終回には目頭を熱くし、僕の今後の人生に色濃い爪あとを残したのは確実。

具体的に何が変わったかというと、真田丸放映終了後、城郭に興味を持つようになり、戦国時代(歴史)に興味を持つようになり、「リーガルハイ」「リーガルハイ2」を観たり、言葉遣いが変わったり、価値観が変わったりした。

で、ここまでで何がいいたのかというと…。

人や人生ってのは、ちょっとのきっかけでガラっと変わったりする。それは、人との出会いや作品との出会いかもしれないし、身に降りかかる出来事かもしれない。その体験や出会いは、接点としては小さな小さなきっかけかもしれないが、極端な話、人生を180度変えてしまう小さなきっかけかもしれない。

そんな小さな小さなきっかけが、日常や生活の中に隠れてるとしたら、隠れてると考えたら…素敵な感じがしないだろうか。2017年、皆さんにとってすばらしい出会いや体験がありますように。

老いさらばえて回れ右

最近、若かった頃より、物事が上手くいかないと感じることが多々ある。理想は逆。老練や老獪という言葉があるように、理想は逆なのだろう。とにかく、若さや勢いに頼ってきたツケが仕事やプライベートで、今来てる感じだ。

年を取ると、色々なことをあきらめなくてはならなくなる。そして最近特に、若手の台頭でそれを痛感する。昔に比べて身体のキレがなくなってきたり、気持ちが滅入ってきたり、中でも一番衰えを感じるのが、モチベーションの低下だ。

一体何がそうさせてしまったのか。僕は色々なことをやりたがらなくなり、色々なことに興味を失ってしまった。きらきら輝いていた僕も、現実をついに知ってしまったのか、色あせてすっかり腐ってしまった。

とにかく僕は今絶望し、すっかりくたびれてしまったのだ。

今のやり方、今のままでは完全に終わった存在になってしまうのは明かだ。若いころに軽蔑していたつまらない大人に今まさに自分がなろうとしている。今、この瞬間に方向転換、変わる必要がある。今僕は危機的状況にある。

「"持ってない"なぁ」と感じる場面が多くなったのもそのせいか。

昔は、"持ってる"と感じる場面がたくさんあった。積み上げたロジックや流れで、あとは勝手に結果が出てくれる、いや出てくれていたのが、最近はまったく結果が出てくれない。老いてしまうと、運にまで見放されるのか。

思うに、流れや運というのは自分で引き寄せるもの。99%の努力と1%の運(才能)とはよく言ったもので、僕はいつの間にか、今までの成功体験から、99%の努力を自分で構築せずに、1%の運(才能)にすがるようになった気がする。

今まで1%の運(才能)だけで勝ったことなんてないのに、それにもかかわらず、ここにきて1%の運(才能)に頼るなんて馬鹿げている。そんなのは幻想だ。だからこそ、だからこそ再び99%の努力を構築するべきではないのか。

考えてみると、思い当たる節がたくさんある。

昔は、やっていたことを今ではもうやらなくなったり、サボってみたり。最近、上手くいかないのは若さと老いのせいだと思ってきたが、そうじゃないことに気づく。年を取るにつれて、自分の中でもういいだろうとか、楽をしようだとか、勝手に限界点を作っていたのではないのか。

その壁が成長を妨げているのは誰の目にも明らかなのである。

ここは今一度、初心に帰り、一からまたがんばるというのはなかなかできることではないが、99%の努力をまた構築していこうと思う。その先にあるのは、不幸か栄光か、それはわからないが、風向きが少しは変わるのではないのか。

2017年、31歳にして惑わず。

 

明かされた少年のトリック

先日、教え子から電話がきた。

今日日、電話なんてなかなか来ないものだから、うっかり携帯の存在を忘れていて、着信に気づいたときにはすでに24時をまわっていた。流石に24時から話す気にはなれなかったので、明日にと…。

翌日、軽く電話のことを忘れつつ、19時過ぎに慌てて教え子と電話で話した。内容はドラえもんがどうだとか、決して愉快なものではなく、かなり失望する内容だった。

要約すると、今の仕事を辞めたいということだったのだが、僕が失望したのはここの部分ではない。実は去年の夏にもまったく同じような内容の電話をもらっていたからだ。この教え子は同じ電話を同じ人物にしているということになる。

この時点で、僕は話す気がまったくなくなっていた。軽い失望とともに、きっと同じようなことを色んな人に話してるんだろうなとか、精神が完全に参ってて同じ話を何度もしているのかとか、色んなことを話している最中に考えた。

去年の夏の時点では、親身になって話を聞いていたが、今回はもう"タネ"がばれているのである。同じ思考回路で、同じ会話で、同じ結論。前回はお涙頂戴で終わった電話も、今回は次の仕事でもがんばれよととても前向きな終わりを迎えた。

話してる本人も「あれ…なんかノリが軽いな」と思ったかもしれない。

そうさ。結果が目に見えている話を熱心に聴くほど僕は熱い男じゃない。むしろ、すっかり弱くなってしまった教え子を哀れに思うとともに、人間というのはいかにに弱い人間なのか、思いを馳せていた。

環境が彼を変えてしまったのか。客観的に見れば、苦しい状況から理由をつけてその場から逃げようとしているだけ、その見苦しい言い訳を二回も聞かされているのだから、冷めてしまう気持ちも、理解して欲しい。

僕に出来ることと言えば、半年以上前に聞いた話を、あたかも初めて聞くかのように頷いてやることだけだった。とても寂しい夜だった。