オリオンの空は燃えている

昭和が生んだ怪物はむらケンジのほのぼの日常系ブログ

お見合いパーティに行ってきたった

前々から興味があったお見合いパーティに行ってきた。ちなみに私は童貞をこじらせた30歳。しかし、いたって普通のまじめな男である。

今回、職場の上司が参加費(2000円)出してくれて、車で送り迎えしてやるとまで言うので、断るわけにもいかず、先輩2人と一緒にノコノコと行くことになったのだが、言われて渋々だったのは否定できない。

パーティの主催は、私が勤務している業界の団体だとか協会、組合の後援会や協力会で、男女合わせて100人を超える人数が集まった。すごーい。

ただ、年齢=彼女いない歴の私にとって、女性と話すのは難しい…わけではなく、ニコ生やエロチャットで鍛えたコミュニケーションはとても流暢で、その会話の流れに淀みはないが、童貞をこじらせているせいで、今ひとつ積極的になれなかった。

1対1の対話は私が最も得意としているところ。逆に、今回のグルーピングや席を自由に移動するスタンスのパーティは苦手な分野(一緒に来ていた先輩とはテーブルが違っただった)。自分に不利なこの企画を考えたやつ出てこいと内心思っていた。

何しろ女性陣の大半が数人の友達と来ており、オープンなスケベより、ムッツリなスケベを愛する私にとって、グループ談笑というのは、どうしても持ち味を発揮できない。こっちはこっそりと二人っきりで話したいのに…。どうやっても話さなければならない限定的な状況に、第三者がもっていって欲しかった。

ありがたくも一生懸命私に話しかけてくれる女性が数人いたが、心の中では申し訳ない気持ちでいっぱいだった。話したのはキミじゃなくて、キミの友達なんだよね…とかよからぬ考えも。それに、結末が見えている会話ほど、つまらない話はない。

そんなこんなでフリータイムでは防戦一方。お目当ての女の子に話しかけるタイミングを失してしまった。私と話したい風の女性が、近くにふらっと来たり、目配せしてくれたりするのだが、童貞をこじらせているため、こっちから話かけるという最初のハードルが私にはまず無理。

せめて話しかけてくれれば、あとはどうにでも持っていける力は持っているのに…。スタートラインにすら立っていないことを痛感した。

結局、私にがんばって話しかけてくれた6〜7人の女性とお話して、フリータイムが終わってしまった。話をした中には、残念ながらタイプのコがおらず、私に話しかけようとしていた女性の中に、タイプのコがいたのに、とにかくフリータイムが終ってしまった。

先輩2人も、なかなか苦戦したようだったが、フリータイム後の、気に入った女性の番号を投票用紙に記入する際には、2人とも結構盛り上がっていた。

私はちなみに、本当に気に入った女性がいなかったので、白紙で出した。

投票の結果発表では、相思相愛のカップルが、カップル成立となり、壇上を呼ばれる下りがあったのだが、当然、私の番号が呼ばれることはなかった(もしかしたら私の番号を書いてくれていた女性はいたかも、いないか)。

笑ったのが、男性の番号を基準に成立したカップル番号を呼ばれるのだが、私の一番上の先輩の番号が呼ばれず、スルーされると、その先輩が突然「帰るぞ(真顔)」と言い出したこと。

次々と成立するカップルを尻目に、私は純粋に「幸せそうでいいなぁ」とか思っていた矢先のことだったので、先輩の言動が最初意味がわからなかった。

どうやらその先輩は苦戦しつつも、お目当ての女性の番号をしっかり記入していたようで、「また別のチャンスがあるさ」とか素っ気ないフリをしておきながら、内心は虎視眈々とカップル成立を狙っていたようである。多分いけるだろうと高をくくっていたようだが、ガチで不成立だったため、「帰るぞ」と言い出したのだろう。

わろた。

そんなこんなで、我ら3匹は惨敗に終わったのだが、私はしっかりとした手応えを感じていた。十分に戦えることがはっきりわかったので、今度は小規模の街コンにでも行って、タイプのコがいればしっかり男らしく話しかけて、頑張っていこう。街コンは6000〜7000円参加費を取られるので、頻繁には行けないが…。

あと、「帰るぞ」と言い出した方の先輩が「次は街コン行くぞ」などと誘ってきたが、この先輩は切ったほうが良さそうだ(真顔)。鉄は熱いうちに打てということで、さっそく街コンに行ったときは、こちらのほうで報告しようと思う。

お楽しみに。

息をするのは止めれない

何も変わらない退屈な人生…。でも、突然ある日、人生を変えるような体験をすることがあるんだな。三日坊主の僕にとって、飽きる・飽きないの次元を超え、その後の生き方が変わってしまうような体験。

それってどんな体験。例えば、生まれて初めて観た映画である『スター・ウォーズ』。音楽で唯一興味を持ったHIP HOPから「KICK THE CAN CREW」、そして今なお大好きな「RIP SLYME」。やるだけじゃなくて、観るサッカーに興味を持つきっかけとなる、欧州で大活躍している(した)香川真司

どの体験(出会い)もが、今のライフワークやスタイルに強い影響を与えている。僕のアイデンティティを語る上で、そのどれもが欠かせない要素となっている。

そして、2016年、再び多分人生を変えてしまうような体験があった。

2016年NHK大河ドラマ真田丸」との出会いである。真田丸…面白すぎた。三谷幸喜脚本ということで、最初は興味を持った。三谷の別作品の「新撰組!」は特に観てなかったが…なぜだか真田丸には惹かれるものがあった。なぜだかはわからない。

当然、真田のさの字も知らなかったし、真田幸村なんてカプコンやコエテクのゲームでなんか非現実的なことをしてる脚色されまくってる歴史の人くらいの認識しかなかった。堺雅人だって草刈正雄だって特に好きじゃなかった。長澤まさみだってどっちかというと嫌いだった(今は好き)。

真田丸を観る要素は皆無だったにもかかわらず、前述のとおり、なぜだか真田丸には惹かれるものがあり、第1話「船出」からテレビに張り付いてみていた。どれくらいハマっていたかわかりやすく言うと、払っていなかったNHKの受信料を自分から納めたくらい真田丸にはハマった。

NHKの予算の関係で、作品としての描写や演出に文句があったのは事実だが、それでも大河ドラマを全話完走したのは初めてだったし、これからも全話観る大河ドラマは出ないだろう(現に「直虎」はもう見てないし…)。最終回には目頭を熱くし、僕の今後の人生に色濃い爪あとを残したのは確実。

具体的に何が変わったかというと、真田丸放映終了後、城郭に興味を持つようになり、戦国時代(歴史)に興味を持つようになり、「リーガルハイ」「リーガルハイ2」を観たり、言葉遣いが変わったり、価値観が変わったりした。

で、ここまでで何がいいたのかというと…。

人や人生ってのは、ちょっとのきっかけでガラっと変わったりする。それは、人との出会いや作品との出会いかもしれないし、身に降りかかる出来事かもしれない。その体験や出会いは、接点としては小さな小さなきっかけかもしれないが、極端な話、人生を180度変えてしまう小さなきっかけかもしれない。

そんな小さな小さなきっかけが、日常や生活の中に隠れてるとしたら、隠れてると考えたら…素敵な感じがしないだろうか。2017年、皆さんにとってすばらしい出会いや体験がありますように。

老いさらばえて回れ右

最近、若かった頃より、物事が上手くいかないと感じることが多々ある。理想は逆。老練や老獪という言葉があるように、理想は逆なのだろう。とにかく、若さや勢いに頼ってきたツケが仕事やプライベートで、今来てる感じだ。

年を取ると、色々なことをあきらめなくてはならなくなる。そして最近特に、若手の台頭でそれを痛感する。昔に比べて身体のキレがなくなってきたり、気持ちが滅入ってきたり、中でも一番衰えを感じるのが、モチベーションの低下だ。

一体何がそうさせてしまったのか。僕は色々なことをやりたがらなくなり、色々なことに興味を失ってしまった。きらきら輝いていた僕も、現実をついに知ってしまったのか、色あせてすっかり腐ってしまった。

とにかく僕は今絶望し、すっかりくたびれてしまったのだ。

今のやり方、今のままでは完全に終わった存在になってしまうのは明かだ。若いころに軽蔑していたつまらない大人に今まさに自分がなろうとしている。今、この瞬間に方向転換、変わる必要がある。今僕は危機的状況にある。

「"持ってない"なぁ」と感じる場面が多くなったのもそのせいか。

昔は、"持ってる"と感じる場面がたくさんあった。積み上げたロジックや流れで、あとは勝手に結果が出てくれる、いや出てくれていたのが、最近はまったく結果が出てくれない。老いてしまうと、運にまで見放されるのか。

思うに、流れや運というのは自分で引き寄せるもの。99%の努力と1%の運(才能)とはよく言ったもので、僕はいつの間にか、今までの成功体験から、99%の努力を自分で構築せずに、1%の運(才能)にすがるようになった気がする。

今まで1%の運(才能)だけで勝ったことなんてないのに、それにもかかわらず、ここにきて1%の運(才能)に頼るなんて馬鹿げている。そんなのは幻想だ。だからこそ、だからこそ再び99%の努力を構築するべきではないのか。

考えてみると、思い当たる節がたくさんある。

昔は、やっていたことを今ではもうやらなくなったり、サボってみたり。最近、上手くいかないのは若さと老いのせいだと思ってきたが、そうじゃないことに気づく。年を取るにつれて、自分の中でもういいだろうとか、楽をしようだとか、勝手に限界点を作っていたのではないのか。

その壁が成長を妨げているのは誰の目にも明らかなのである。

ここは今一度、初心に帰り、一からまたがんばるというのはなかなかできることではないが、99%の努力をまた構築していこうと思う。その先にあるのは、不幸か栄光か、それはわからないが、風向きが少しは変わるのではないのか。

2017年、31歳にして惑わず。