オリオンの空は燃えている

昭和が生んだ怪物はむらケンジのほのぼの日常系ブログ

五撃四殺

※この記事はフィクションです。
登場する人物・団体・ 名称等は架空であり、
実在のものとは関係ありません。

" One Shot , One Kill "

というのは、映画「山猫は眠らない」のトーマス・ベケットの台詞。

現代日本においては、ほとんどの人が小銃や拳銃を撃つことなく生涯を終える。そう、一般の人にとって銃など無用の長物。しかし、現代日本(人)でも合法的に射撃を行うことはできる。それは競技射撃だったり、クレーン射撃だったり、狩猟だったり、海外の射場での射撃かもしれない。

射撃というのはかなり奥が深く、単なるセンスや射撃技術だけでなく、メンタルコントロールも非常に重要になってくる。射撃姿勢・照準・精神というのは、僕の考える射撃の3大要素。各3大要素においても3小要素がある。例えば射撃姿勢なら、体軸・頬付け・右手の握りなど。断言できるが、馬鹿には射撃できない。

射撃というのは手ではなく、頭で撃つ。

てか、お前はなんやねんという突っ込みはわかる。

実は、僕には約5年ほど前から実弾射撃経験があり、主に海外で300mのライフル射撃をしている。年間1~2回は射撃に行っている。やり始めた動機は精神修養のため。日本での射撃の敷居は免許取得や場所などかなり高いが、昨今、海外では気軽に実弾を撃つことが出来る。

ネットなどで空包(空砲じゃないよ)と実弾の違いもわからないオタクがエアガンでの射撃を元に射撃のウンチクを語っているのを見ると、思わず笑ってしまうのも仕方がないこと。ただ、BF4などのFPSのプロプレイヤーは認めざるを得ない。

ちなみにタイトルの五撃四殺というのは、僕の実弾射撃の腕前を表したもの。

弾を5発持っていたら、300mの距離ならば4発は相手に致命傷を与えられるということ。ちなみにレーザーサイトはスコープなどの光学照準器は使用せず。もちろん、静止物に限る話だが。で、撃って見たらわかると思うが、これは結構上手な方である。

実はこないだも海外に射撃に行ったのだが、かなり優秀な成績を収めてきた。100点満点中、90点という成果。ラッキーショットだと素人には言われるが、個人的には必然の結果であったといえる。何しろ僕の過去5年のアベレージは83.11(82/84/82/86/82/78/84/80/90)点。大体、知り合いの平均点は60点前後。

今までは、射撃中、どうしても圏外弾(0点)が1発ほどあったのだが、今回は全部圏内に全弾を命中させることができた。1発の圏外弾を4~5点にもってくることによって、実質4~5点のボーナス。この結果90点という金星を取ることができたのだった。

今まで圏外弾を払拭できなかった理由ははっきりしている。

それはメンタルだ。

決して過信ではなく、自分には人より少しばかり射撃のセンスがあるのはわかっていた。しかし、僕の弱点として時間制限射撃による、気持ちの焦り、集中力の希薄化、呼吸の乱れ、引き遅れ。これらのが、圏外弾の原因となっていた。

準Aクラスから完全なAクラスとなるべく、さまざまな要因を綿密に分析し、練習に取り組み、今までがんばってきた。そして今回の射撃に望み、成果を残すことができたのだ。これで5年連続Aないし準Aクラスである。

射撃が当たらない下手くそというか馬鹿はこの辺の課題を分析、細分化ができないため、射撃のメソッドが確立できないのだ。ただ獣のようにバンバン引き金を引くだけじゃ、ただの金の無駄遣いである。戦国時代の鉄砲足軽でさえ、もうちょっと大事に撃っていたと個人的には思う。

射撃というものは本当に面白い。理論立って、原因と結果を分析すれば、自ずと成果が出る。射撃とは単に人を殺すための所作でもなく、ただのスポーツでもない。己と向き合い、己を高める言わば武道に近いものと自分は考えている。また来年度も撃ちにいくので、慢心せずまたがんばりたい。

困難に打ち勝ち、成長を感じれるのは大変愉快なことである。

口からでまかせで口先でかませ

会話には機微というものがある。しかし、ほとんどの人はそれを知らず、使うこともない。そしてそれを感じることもできないし、知ろうともしない。

私の職場に気難しい上司がいる。言ってる内容も支離滅裂で、かなりの気分屋。しかもすぐカッとなるタイプで、つまらない理由で若手や後輩が怒られているのをよく見かける。若手や後輩からしてみれば、恐ろしくて、腹立たしい存在である。そう、若手や後輩にとってはね。

そんな上司と、私は外回りをすることがよくある。

半日以上、車の中で二人っきりで過ごすことになるのだが、帰ってくると、後輩たちが決まってニヤニヤしながら聞いてくる。「今日はどうでしたか」。ははん。こいつらが聞きたいことはわかってる。"気難しい上司と一緒でさぞかし怒られたでしょう" これが言いたいのだろう。

アホか。

こういった手合いに怒られたり、指導されたり、機嫌を悪くされたりするのはマヌケだけ。実際、私とその上司の外回りは終始和やかで、怒られたことなぞ一度たりともない。場合によっては、ニッコニコでアイスを奢ってもらったりするほどだ。

通常、外回りは二人体制だが、これに+1名、後輩がひっついてくることがある。終始穏やかな上司と私のやり取りを見て、後部座席から後輩はいつも不思議に思うそうである。"なんで今日はこんなに機嫌がいいのだろう"と。

アホか。いっつもそうだっつうの。

「それははむらさんが気に入られてるからでしょ」と反論してくるやつがいるけど、ばかやろう。なんで気に入られる位置まで自分を持ってこれないのか。会話というのは、言葉の応酬だけじゃない。場のセッティングや雰囲気、必勝のパターンへの持っていき方。様々な要素が複雑に絡んでいる。

これが如実に表れたのが休日出勤の件だ。

怠惰な連中は、社内のある検定で不合格になっており、その再検定の日が某金曜日だった。不幸にも不合格の烙印を押された何人かは、その某金曜日が勤務上、休日となっていた。しかも再検定の日は動かせず、休日に出勤してこなければならない事態になっていた。

検定をする側だった私はこれは不憫に思い、わざわざ例の上司に調整を行っていた。検定も大事だが、わざわざ休みの日をつぶしてまで受けることはない。

休日出勤させた上で、代休の処置を取らせてもらい、別の日に休日をもらえるように、上司の確約をもらった。もともと再検定の日は決まっており、上司の勤務割表の作成ミスに近かったので、了解を得るのは容易いことだった。

ちなみに、検定に落ちるのは仕事をナメまくってるレベル。

そして、上司から代休処置を取る許可を受けた旨を受験者の後輩に伝えると、「あ、そうなんすか」みたいなマヌケな返事が。こいつらは、私が黙っていたら休日にわざわざ再検定を受けにくるつもりだったのか。まぁそれならそれでいいんだけど。

代休の処置(書類の申請など)は私がやる義理はないので、直接上司にその旨を伝え、自分でやるようにその後輩に言ってやった。なんてやさしいんだ。

さっそく隣の部屋の上司の元へ後輩が話しをつけに行った。

すると、隣の部屋から怒号が飛んできた。

 「検定落ちてるんだから、休日だろうがなんだろうが再検定を受けるのは当たり前だろうが!!」どうやら、話のとっかかりでいきなり「休みを取らせてください」というような言い方をしたようである。言い方を間違えることはよくある。それ自体は決して間違えじゃない。が、後輩の口からとんでもない一言が。

「いや、だってはむらさんが…」

おいおい。そこで私の名前を出すの。いや、いいんだよ。別に私のせいにしてくれていいんだよ。でもそんなこと言ったら逆効果。「そもそも、なんではむらがお前の休みのために調整にきてるんだ!!  お前のことだろうが!!」と、当然、上司の火に油をそそぐ結果に。

そして、恨めしい目で私を見る後輩。

サッカーでは、ちょっと蹴ってゴールに流し込むだけのラストパスをプレゼントパスという。この後輩は、私のプレゼントパスを盛大に空振り、事もあろうことか、私のパスが悪いと言い出したのだ(口には出してないが)。

まぁ、後輩はこってりとしぼられた後、なんとか代休をもらうことができた。

その後輩は、文句をぶつぶつ言っていた。私はそんな後輩を見て、心底哀れに思うとともに、そんな哀れみから無理に後輩を救おうとせずに、十分に哀れみに打ちひしがれることこそが後輩のためになるのだろうと確信した。これから人生辛いと思うけど、がんばれよ。

付け焼刃や生兵法は大怪我の元という慣用句やことわざがあるが、私のセンセーションが、かえって後輩や他人のためにならないということが今回よくわかった。私は、私を私のためだけに使おうと強く思った。

そして、私は何も痛まない。

嫌いの反対は好きだとは思わない

前回の記事で、ある先輩についてチラッと書いたと思う。

そう、最近なんだかこの先輩が嫌いになってきた。いわゆる目の上のたんこぶってやつだ。生まれた年は同じ(学年は1つ上)だが、その先輩は中卒でこの業界に入っている。24歳でこの業界に入った私のなんと10年ほど先輩。

今日はそんな先輩の日常を淡々と書いていこうと思う。

先輩はとにかく精神年齢が低い。

私も自分がガキだと思うが、先輩はそれ以上。どれくらい精神年齢が低いと言うと、朝、開口一番後輩の胸を意味もなく殴るくらい精神年齢が低い。私の記憶によると、かつてこういった行動を取ったのは、中学生のときの同級生だった"イワモッチャン"くらいである。もちろん、彼は今立派な大人になっている。

触ったり、殴ったり、悪戯したり、必要以上にスキンシップをしてくる手合いは大概精神年齢が低い。精神年齢が低いゆえに、目に見えないものが信用できず、不安に駆られ、スキンシップやボディタッチなど物理的なつながりを多く求めてくるのである。DVとかそっち系にもいえることかもしれない。

余談だが、この先輩は遊びの延長で3人骨折させている。

こないだも、仕事で変更検査でNECやら、スカパーやら、総務省の役人やらが職場にきている中、大勢のいる前で後輩にデコピンしたり、エクザイルのチューチュートレインを披露したり、正直恥ずかしかった。落ち着きもなく、常にゴソゴソと動いていた。これで今年31歳だというのだから驚きである。

そんな先輩でもこの業界ではかなりのキャリアになるので、年功序列の側面が強い職場では、面と向かってその先輩に意見できるものがほとんどいない。下っ端の私が出来ることと言えば、その先輩の行動を冷ややかに見つめることくらい。そう。私はその先輩を見下している。

能力面では、頭もそこそこいいし、特に問題視していないが、問題は精神面と品格である。とても尊敬できる対象ではない。

若干31歳で、うちの部署の序列では、上から5番目くらいのその先輩だが、困ったことにもうすっかり大御所気分なのである。いや、確かに大御所なのではあるが、まだバリバリに働いてもらわないと困る。なのに窓際並みにフットワークが重い。いきなり努力しなくなったエリートみたいな感じか。

当然、仕事も大小にかかわらず、その先輩をスルーして下っ端に回ってくる。場合によっては先輩が仕事を後輩に押し付けるようなことも。その癖、こっちが忙しいときに、茶化してきたり、どうでもいい話をしてくるのは正直頭にくる。責任を引き受けてくれる素振りもないし。

私はこの先輩にかかわらず、他人とは一定の距離を置いているので、プライベートで先輩や同僚、後輩と絡むことはない。しかし、この先輩は、特にプライベートでの付き合いこそ、親密になることができ、真の信頼を築けると思っているので、遊びには真剣だ。独自の飲み会を開催し、巨大な派閥を作っている。

後輩も大概アホなので、大御所"っぽい"この先輩を盛り立てるのに余念がない。この先輩の誕生日にはみんなでお金を出し合い、プレゼントやケーキを買い、サプライズでお誕生日会。完全な馬鹿騒ぎである。他の上司や先輩の誕生日でも同じように誕生日会するならわかるのだが、わざわざ誕生日会が行われるのはこの先輩だけ。

これがどれだけ異常なことかわかるだろうか。何が異常ってその先輩にカリスマ性があるわけでもない、恩義があるわけでもない、ただ大御所っぽいという理由だけで誕生日会が行われているのだから。芸能界でいう和田アキ子みたいな存在だ。しかし、私はそんなまやかしには引っかからない。

先輩も馬鹿ではないので、私の冷ややかなな目線に気づいている。煽てたり、すかしたり、呼び止めてみたり、近寄って見たり、あの手この手で私を取り入ろうと必死だ。たぶん、単純に怖いのだろう。

人と付き合うとき、人をよく見なければならない。決して単一の方法論のみで人付き合いというのは達成できない。この人にとっては良かったことが、その人にとって良いとは限らないのである。女性に対するアプローチと一緒だ。

"その人を知りたいとき、一番最初にその人が何に対して怒るかを知らなければならない"というのは何のマンガの名言だったか。

何が言いたいかというと、何も考えていない他の後輩とは違い、私は簡単には篭絡できないということ。この先輩に対して完全なディフェンスをしいている。しかし、これを決して強引にしてはダメ。あからさまに敵対すると、損害を受けるのはこっち。常にギリギリのラインで先輩をやり過ごし、完封する。

私と後輩が楽しそうに話していると、ちょうど話し終わったタイミングでその先輩が「なになに?」と会話に入ってくることがある。多分、自分抜きの盛り上がっている未知の会話に対して不安を覚えるのであろう。自分が中心でないと気がすまない典型だ。場合によってはスルーすることもあるが。

そのときは、懇切丁寧に、わざわざどういう話の流れでどうして笑っていたのが何が面白かったのか、説明して差し上げる。別にそこから話が広がるわけではない。ただ、先輩の"知りたい"を満たしてあげるだけ。やさしい。

できるやつなら(できるんだけど)話を膨らませて、さらに先輩を楽しいの輪に入れるサービスをするのだろうけど、私は場からスッと離れる。そして、先輩が趣味でやっている下手クソなバンドのライブにも行かない。LINEの日記も見ない。ただ、聞かれたら答えるし、先輩として一応は立てて差し上げる。

業を煮やした先輩は、私との小競り合いで、小手先勝負ではどうにもならないので、酒の力を借りて強引に絡んでこようとするときがある。

ニコ生でも話したことがある"90分"地獄である。独身寮の消灯後、暗闇でスマホをいじっている私のベッドに飛び込んできて、起きてるかだの、今日はお前のベッドで寝るだの、ベッドに連れてってくれだの、超くだらないナンセンスなやり取りを深夜24時から90分続けるのである。これはほんとうに失望する。

先輩としては、私と仲良くしたいのかもしれないが、完全に逆効果だ。酔っていようがいまいが、押そうが引こうが、昼だろうが夜だろうが関係ない。私が先輩を認めていないのだから、双方向の絆が生まれることなんてありえない。あるとしたら、私の先輩に対する表面上の気遣いくらいである。

愛の反対は無関心だとマザー・テレサは言ったが、そういう意味で私の先輩に対する感情は、嫌いだとか憎悪で、愛という感情の延長線上にすら入っていないと言える。

ここまでの流れの中でも、私が先輩を最高にむかつき、軽蔑することがある。この先輩は独身寮にnasneを持っており、好きな番組を録画し、夜に視聴するのだが、NHKの障害者の番組を、きゃっきゃ笑いながら見ているのである。これだけは本当に辞めてほしい。

別に偽善立って、正義感ぶっているのではない。単純に聞くに堪えない、見るに堪えない。私の気分はますます悪くなり、尊敬とは程遠い位置に先輩は離れていく。気持ちは態度に表れ、先輩はますます不安に駆られ、躍起になり、私はさらに先輩が嫌いになっていく。

どちらかが異動するまでこの戦いはつづく。