オリオンの空は燃えている

昭和が生んだ怪物はむらケンジのほのぼの日常系ブログ

公共機関での流儀

あまり外を出歩かない僕にとって、公共機関に乗るというのは、外界と接触する唯一の機会と言っても過言ではない。当然、死のリスクも高くなってしまう。隣のやつが突然刃物を持って暴れたり…。とにかく僕は周囲への警戒に余念がない。

いきなり予断になるが、駅のホームで待っているときも、ホームに対して自分が直角に立っていると、真後ろから押されたときに、受身が取れずそのままホームに転落してしまうので、ホームに立つときは斜めに立ち、正中線をずらしている。これで後ろからドンと押されても安心だ。

話を戻して…。

事が起きたのは目的地へ向かう序盤であるバス停だ。

あと5分で到着するバスに乗るためにバス停にやってきた僕だが、初老の男性が先にバス停に待っていた。後から来た僕は二番目の乗客というわけだ。ここまでは特に問題なかったのだが、僕の後から三番目の乗客である親子連れがやってきた。

ここから話はおかしな方向へと向かっていく。

僕は慣れた手つきで、2台持ちのスマホでプレイしているゲームのログインを済ませると(ログインする毎にボーナスがもらえる)、出来る男らしく手早く来週からの予定に目を通していた。ちなみに月曜から火曜まで出張で広島に帰る予定だ。

特にエロ画像を見る中学生のようにスマホに熱中していたわけではなく、到着予定時間通りに僕の右手から来るバスの目の端で捉えていた。そう捉えていたのである。しかし、この後とんでもないことが起きる。いや、とんでもないことを言われる。

「バスが来ましたよ」

初老の男性が突然、僕にそう言い放ったのである。そのときはちょっと一瞬イラっとしたものの、特に気にすることなく、バスに乗り込んだ。もちろん、初老の男性が促すので、三番手の親子を押さえて、僕が一番最初にバスへ乗り込んだのである。

乗って気づいたが、日曜の午前中ということもあり、多分みんなどこかにでかけるのであろう、ほぼ満席で席は二つしか空いていなかった。僕はどちらかというと立ってることが多いので、席に座らず安定して立てるポジションについた。

その脇を先ほどの初老の男性が抜けていき、空いてる席にすべりこんだ。三番手の親子は子供のほうを座らせる。別になんてことはない日常の風景。日常の風景だが、僕はどこか違和感に引っかかっていた。さっき言われたことだ。

「バスが来ましたよ」

バス停でバスが来て、他人にこんなことを言われたのは初めてだった。この人はなぜこんなことを僕に言ったのか。いつも言っているのか、僕だから言ったのか。バスに揺られながら、僕は真剣に考え始めていた。こんなことで考え込むなんて、バカらしい。

スマホをガン見していた僕がバスが来たことに気づいていないのかと思って親切に言ってくれたのか。それとも、どこかで会った知り合いだった? 様々な考えを張り巡らせ、論理や経験則、妥当性から僕はある一つの結論に達する。

問題は立ち位置だった。

あのバスが来るのを待っていた時点で、一番最初にバスを待っていた初老の男性の立位置は、バスの停留所の案内表示板からかなりずれていた。図らずも二番手でやってきた僕がその初老の男性の隣に並ぶと、僕が案内表示板のど真ん中に来る格好に。

ド下手糞の運転手でない限り、バスは案内表示版の前で止まり、バスの入り口が開く。その入り口に最も近いのが僕というわけだ。初老の男性は確かに一番最初に待っていたが、最初に乗り込むためには、僕の前を追い越さないと乗り込めない。

僕は知らず知らずのうちに地の利を得ていたのだ。この関係性は、三番目にやってくる親子に対して同じこと。僕はその場で絶対的に有利な立場にあったのだ。もちろん、それは初老の男性にもわかっていた。しかし、そのような緊迫した状況にあって、僕は出来る男よろしくスマホを注視していた。

バスが来て初老の男性は思っただろう。「もしかしてこの童貞の男、スマホに夢中でバスに気づいてないのではないか」そう、まさにこの初老の男性にとって一番最悪の事態が起きようとしていた。この初老の男性にとって最悪のシナリオ。

それは、僕がバスが来たタイミングですぐに乗り込む動作に移らないこと。ワンテンポ遅れてしまうと、三番手の親子が僕を抑えて先にバスに乗り込むことになってしまう。そうなってしまうと、もうダメ。入り口の押さえられている初老の男性は必然的に僕の後、つまり三番手に回ることになってしまう。

ここで、疑問が一つ。

なぜ、初老の男性は僕の前を通り過ぎて、一番最初に乗り込もうとしないのか。それは簡単だ。普段からそういう我先に、というような精神を批判してきてるもんだから、若者の手前そういう傲慢さの醜態を晒すことが我慢できないのだろう。

譲り合いの精神、和の心、道徳、そういう教育を受けてきている。中国人じゃないんだから。日本の倫理観がそうさせているのだ。それに普段から若者や外国人を批判している手前、自分がそうなることがあり得ないのだろう。

いやらしい…。

本当にいやらしい…。そして「バスが来ましたよ」と親切な人っぽく僕にバスに乗るように促し、人を押しのけて我先にとバスに乗るはしたないマネをせず、かと言って、三番手の親子に席を譲ろうせず、自分はがっちりと二番手の位置を確保。あの発言は最小限の被害で自分が席に座るための算段だったのだ。

この化け狸め…。

最適解がわかり、どうだあんたの目論見がわかったぞ、と勝ち誇ろうと視線を送ると、その初老の男性が、真っ直ぐに前を見つめながら少し笑っているように見えた。

バスが終点に着くと、僕はもう一度この目でその初老の男性の顔を見てやろうとした。しかし、悲しくも大勢の乗客の波に飲み込まれ、初老の男性は大都会の渦に吸い込まれていった。

僕は誰。

そう僕の中では

人と話したり、ネットを見たりすると、僕って世間と感覚がズレてるんじゃないかと思うことがある。というか大体ズレてるんじゃないかっていう。まぁズレてるんだけどね。特にそれを感じるのが、映像作品を見たとき。

アニメもよくあるけど、一番は映画だね。面白いと思った映画、面白くないと思った映画の評価が世間と間逆だったりする。こう見ても映画は結構見る方で、年間200本は必ず映画を見る。別に俺は映画を見る目があると箔をつけてる場合じゃない。

ちなみに、僕の今までの一番お気に入りの映画は『トゥモロー・ワールド』。これ以上の映画は見たことがない。ジャンル的にはサスペンスやサイコホラー、ゾンビものが好きなんだけども、映画としての完成度は僕の中でNo.1ですね。

そう僕の中では…。

ちなみにこの映画は、大学生のときのマクドナルドでのバイト仲間の渥美くんに教えてもらった映画。それまで、人から薦められた映画・音楽・マンガは大概クソという概念をぶち破った伝説的な映画なんですよね。あんまりメジャーじゃないけど。

逆に実写のバイオハザードシリーズや『SAW』の2以降とかを賞賛してる老若男女を見ると、本当にめちゃくちゃにしてやりたくなるね。一時期の週刊少年ジャンプのクソ連載を持ち上げる腐女子を見てる感じ。別に腐女子が嫌いなわけじゃないよ。

こういう感覚っていうか感性って「俺が正しいんだ。俺の感性こそが正義なんだ」って独善的に陥りやすいじゃない。それが意外に勘違いだったりすることが多いんだけど、そういう意味でネットとか色んな人の意見を見ることは大事。

そこで自分のストロングポイントとウィークポイントがわかりますからね。自分の弱さを強みに変えた者こそが本当の強者ですから。

ところで、映画レビューの金字塔、超映画批評で『トゥモロー・ワールド』の評価を見たら90点でした…。そう僕の中だけじゃなかった…? まぁとにかく、人とは違うってある意味個性だと思うので、そういった感覚や感性を大事にしてください。

世間では酷評されてる『攻殻機動隊』の実写版くっそ楽しみです。

去年の餅つき

去年の餅つきの出来事について書いておこう。

僕の勤め先では、何故か年末になると餅つき行事なるものが行われる。みんなで餅をついて、年の締めとして無病息災を願おうという企画である。まぁ普通、餅というのは新年につくものだが…。

しかし、遊びではなく大人たちの催しなので、しっかりと餅つきの役割分担が決められる。米を蒸す係、餅をつく係、餅を丸める係、餅を焼く係など。僕は餅をつく係に。餅をつく係は2グループに分かれており、1グループにつき4~5人で編成されていて、グループで交代しながら餅をつくという算段。

4~5人のうち、3名は若手(僕より後輩)のため、僕はほどほどにしつつ、若手に餅をつかせようと考えていた。ところが、始球式ならぬ餅つき始め式(お偉いさんにもちをついていただく)で、"餅を返す"係を誰がやるという話になって、何分急な話だったので、餅つきグループの棟梁的な人から恐るべき一言が。

羽村羽村はどこにいった!」

おいおいおい。何故僕が…。ちなみに僕は餅とかまともについたことがないシティボーイである。こういうのは餅つき経験豊富な田舎者にやらせるものなんだが…。気を抜いていた僕に一斉に80人近い視線が集まる。というかまず、元々やる気もまったくなく爪も切ってきてないし…。

餅の返しというのは、簡単そうに見えて実は難しく、ちょっとやりたくない気持ちでいっぱいだったが、棟梁からその場で要領を教えてもらい、実践した。最初はつき手とのリズムが取れず、周りからドッと笑いが起きる。が、徐々に僕の返しとつき手のリズムが呼応し始める。コツをつかむと僕はあっという間に"返し"を習得した。

周囲からも歓声が聞こえる。

それはそのはず。僕は昔から要領だけはいいので、コピー忍者などと呼ばれてきた。そして、オープニングは大成功に終わった。大役をやり終えた僕は、気を抜くことなく自分のグループ内の若手と綿密に調整。1人つき終わるごとに、返しの役を回そうという話でまとまった。

ところが、恐ろしいことが起きた。2番手で登場した若手が、まったく返しができないのである。僕の返しを見ていて、本人はできるだろうと高をくくっていたみたいだが、そう簡単なものではない。たまらず上司から「お前はもういい! 羽村を呼んで来い」とご指名を受ける。

返しというのは、"つき"と"ふりかぶり"の動作の間に、水で湿らせた返し手で餅をひっくり返し、万遍なく米から餅になるように、サポートする役目。このつきとふりかぶりの間にすばやくもちを返さないといけないのだが、その若手がこの返してのリズムがよろしくない。返し手が逃げ遅れて、杵に打たれそうになる。

この意外に難しい返し手、欲張りすぎてもよくない。極端な話、毎回毎回返す必要はなく、必要ないと判断したら"1回休み"のような動作をいれなければならない。あまり、欲張りすぎると…逃げ遅れた返してが、つき手の杵の餌食になることになる。

場の進行を考え、しばらくは僕が一任して返しをすることになった。

合間合間で後輩に返しのコツを教えてやることにも余念がない。その頃には僕の返してのレベルは、餅のつき手の癖を1~2投で把握し、つき手のつきやすい位置に餅を返すまでに到達していた。誰にも気づかれないほど地味で高度なレベルの技術だが、棟梁はそれを見抜いており、お褒めに預かった。

 よくテレビでもやってる高速づきも可能であり、僕はものの数十分で不動の返し手に成長していた。「お前本当に初めてか!?」などと、普段仕事では厳しく接してくる上司にも大絶賛、手放しで褒められて最高に気持ちがよかった。間違いなく、僕はあの時あの場所でヒーローだったのである。

事件が起きたのはその後だ。

そんな僕の独壇場を見ていてか見ておらずか、ある一人の後輩が自分にも返し手をやらして欲しいと僕に言ってきたのである。僕は嫌な予感がした。こいつは、先輩である僕に返しを続けさせるのに、遠慮を感じて申し出たのか、それとも…。

嫌な予感がしつつ、僕は返し手のポジションをその後輩に譲った。返し手に固執する必要はもうなく、しかも僕はもう十二分に働いたので、餅などを摘みつつ、暖を取っていた。そこに「あー!」と叫び声が聞こえた。

僕の後任の後輩が、つき手との呼吸が合わず、残った返し手につきを食らってしまったのだ。後からほかの後輩に聞いたら、youtubeに出てくるようなシーンで、完璧なタイミングで打撃を食らったそうだ。手を打たれた後輩は出血。幸い骨には異常なかったが、後輩は退場。

 その後、返し手に呼ばれるのはもちろん僕である。この時点で僕の株は爆上げで、勝利勝利アンド勝利という伝説の日になってしまった。

結局、餅の返し手をほとんど僕がやり切ってしまった。手を打たれた後輩には申し訳ないが、最高に気持ちの良い1日だった。今年の餅つきにまた僕が返し手で使われるかわからないが、今度は後輩にも見せ場を作らせようかなと考えている。


www.youtube.com

最後に、中谷堂さんの餅つきを紹介しておこう。
今年はこのレベルまで達したい。