オリオンの空は燃えている

昭和が生んだ怪物はむらケンジのほのぼの日常系ブログ

好きなものはいつも嫌いなもの

僕が好きなものは、誰しもが好きなものではなく、どうでもいいものだったり、逆に嫌いなものだったりする。要は人によりけりということが言いたいのだが。

特に、僕が好きなゲームハードやサッカー選手、歌手、漫画などは、常にアンチと呼ばれる反対勢力の攻撃に晒されている。特にネット場ではどこにいってもそう。僕が行く先々で何故だか争いが絶えない。

極端な話、世界中で争っている。世界中で戦っている。具体的には戦争だろう。個人的にはこれは多分無くなることはないんじゃないのかと思う。戦争と平和について、ある高校生が面白いこといっていたのを思い出した。その高校生はこう言った。

「てか歴史上今が一番平和じゃね」

寝言は寝てから言わないといけない。果たして今が一番平和だろうか。確かに今この瞬間の日本が平和なのは認めよう。毎日多少の事件は起きるが、食べるものはあるし、好きなことはできるし、嫌いなものは嫌いと言えるし。しかし忘れてはならない。このような平和が訪れたのは、ほんの70年余りの出来事だということを。

単純な期間で言ったら、まだ70年ちょっとしか平和が続いていない。これには非常に違和感を感じる。何せ70年前まではこの国は戦争状態にあったわけで、逆に言ったら70年後、この国が戦争状態にないとは言い切れない。この平和がいつまで続くのか。

「多分一生続くんじゃないの」

その高校生は思うだろうか。しかし、それは本当に幻想でしかない。あの、あの徳川幕府の天下泰平もたった、たった264年で終わってしまったのだから。途中、色々あったことは間違いないが、平和が264年も続いたということは凄いことである。

「平和」の反対語は何か。ほぼ「戦争」という答えが返ってくるが、正確にはこれは間違いである。「平和」は状態を示す言葉であり、「平和」の反対語は「混乱」。そして「戦争」は外交の手段を示す言葉であり、「戦争」の反対語は「話し合い」や「調停」。もちろん学校や塾では平和の反対は戦争と教えているのは承知の上である。

これだけを鑑みても我々の平和と戦争の考え方がかなりずれていることに気づかされる。それにしても何故戦争は無くならないのか。

それは何故いじめは無くならないのかという疑問にも通ずることかもしれない。何故戦争はなくならないのか、争いが絶えないのか。僕が下した個人的な結論、それは単純明快である。それは、人間が生まれながらのハンターであるからである。人間は常に標的を探して生きている。その根拠とは。

皆さん鏡でご自分の歯を見ていただきたい。

普通は犬歯というのがあると思うが、これは人間が狩人であり、肉食動物である証拠(の名残らしい)。もちろん、草食動物には犬歯はない。そう、人間は生まれながらにして、殺し食らう、殺生することが宿命づけられたまたぎなのだ。

僕のこういった考えは、時として別の言われ方をすることもある。そう、それが性悪説である。性悪説とは、孟子性善説のアンチテーゼの位置づけとして唱えられた、人間の本性に対する主張。人間は生まれながらにして、標的を、敵を探しているのである(生物学的な意味で)。繰り返すが、これはあくまでも個人的な意見。

人間が人間である限り、人は争うことを止められない。それはまるで、自分の力を誇示するかのように。それはまるで、猫が獲物をいたぶるように。そして、それはまるで、自分の正しさを証明するかのように。お腹が空かなくなったら多分戦争はなくなる。

それは無理なので人は今日も戦う。