オリオンの空は燃えている

昭和が生んだ怪物はむらケンジのほのぼの日常系ブログ

嘘を嘘と見抜けない人に

今日はみんな大好きインターネットの話。

インターネットの言葉的な起源は、インターネットワークだそうだ。複数のネットワークを相互接続したネットワークというのが本来の意味。

つまりインターネットというのは、ただの"つながり"をさしている言葉であり、インターネットは大変便利なものだけど、大事なのはそのつながっている先のものであり、それだけでは何ら役に立つことのない代物なのである。インターネットは偉大ではあるが、偉大ではない。

何が言いたいかというと、昔、僕はインターネット端末一つあれば、何でも調べることができると思ってた。思っていたが、大人になるにつれてそうじゃないことに気づき始めた。あれ、ネットやばくね。

最初に気づいたのは大学のころ。

書きたいレポートの情報を集めるために、インターネットにアクセスした。ネットで調べればすぐに答えが出ると高をくくっていたが、調べても調べても情報が一向にでてこない。キーワードやフレーズこそ、検索エンジンに引っかかるものの、その先にある深い部分にたどり着くことができない。というかない、その先がないのである。

やれポケモン個体値であるとか、ミュージシャンの2ndシングルの初動売り上げ枚数だとか、熱心にまとめ、ネットにアップロードされている分野は確かにある。中にはラジオ番組で話された内容を文字で起こしているサイトなども見かける。

極端な話、ある種の分野(例えばエロだったり)では、インターネットの情報網は恐ろしいほど発達し、蓄積されているが、人の興味が薄れるような恐ろしく難解なもの、マイナーな分野に関しては十分に発達しているとはいいがたい。

というより、ネットには得意な分野と得意じゃない分野があって、うわさ話や一般大衆向けのものが大得意で、逆に学術的なものや専門的なものに関して、疎かになっている気がする。大学で学ぶような事柄ならなおさらである。

ネットで情報収集することに失敗した僕が選択した行動は、図書館に行くことであった。この巨大なアナログなデータべースには、ネットにはアクセスできない情報が山ほどあった。本というアナログな媒体に触れ、本当の意味で情報収集した僕が気づいたのは、いかにインターネットには間違いや嘘があふれているか。

本で調べたこととまったく逆のことが書かれてたりもしていた。

インターネットは便利なものであるが、所詮は二次的、三次的な情報源にすぎない。よくネットで一次ソースを当たれというが、デジタルな世界には一次ソースなんてもの存在しないというのが僕の持論である。極端な話、自分がこの目で見たもの以外、厳密な意味で"ソース"にならないのでは。これが究極のアナログではないのか。

最近の大学生はレポートや卒論を書くのにインターネットをよく利用するとのことである。インターネットでコピペした文章をレポートで提出するなど笑止千万。ちなみに、図書にいってちゃんと調べた僕の評論、「発展途上の中国と不当競争防止法」「少年マンガと少女マンガの違い」の評定は優であった。

しかし、攻殻機動隊の世界ではないが、ありとあらゆるものがデジタル化されて(劇中では初期評論革命集のオリジナルを探しに行ったが)、誰もがいつでもそこにアクセスできるような時代。そんな世界がいつかはくるのだろうか。

何が言いたいかというと、ネットに書かれている情報程度で完結する生活を送っているようなギャルと結婚したいということある。

五撃四殺

※この記事はフィクションです。
登場する人物・団体・ 名称等は架空であり、
実在のものとは関係ありません。

" One Shot , One Kill "

というのは、映画「山猫は眠らない」のトーマス・ベケットの台詞。

現代日本においては、ほとんどの人が小銃や拳銃を撃つことなく生涯を終える。そう、一般の人にとって銃など無用の長物。しかし、現代日本(人)でも合法的に射撃を行うことはできる。それは競技射撃だったり、クレーン射撃だったり、狩猟だったり、海外の射場での射撃かもしれない。

射撃というのはかなり奥が深く、単なるセンスや射撃技術だけでなく、メンタルコントロールも非常に重要になってくる。射撃姿勢・照準・精神というのは、僕の考える射撃の3大要素。各3大要素においても3小要素がある。例えば射撃姿勢なら、体軸・頬付け・右手の握りなど。断言できるが、馬鹿には射撃できない。

射撃というのは手ではなく、頭で撃つ。

てか、お前はなんやねんという突っ込みはわかる。

実は、僕には約5年ほど前から実弾射撃経験があり、主に海外で300mのライフル射撃をしている。年間1~2回は射撃に行っている。やり始めた動機は精神修養のため。日本での射撃の敷居は免許取得や場所などかなり高いが、昨今、海外では気軽に実弾を撃つことが出来る。

ネットなどで空包(空砲じゃないよ)と実弾の違いもわからないオタクがエアガンでの射撃を元に射撃のウンチクを語っているのを見ると、思わず笑ってしまうのも仕方がないこと。ただ、BF4などのFPSのプロプレイヤーは認めざるを得ない。

ちなみにタイトルの五撃四殺というのは、僕の実弾射撃の腕前を表したもの。

弾を5発持っていたら、300mの距離ならば4発は相手に致命傷を与えられるということ。ちなみにレーザーサイトはスコープなどの光学照準器は使用せず。もちろん、静止物に限る話だが。で、撃って見たらわかると思うが、これは結構上手な方である。

実はこないだも海外に射撃に行ったのだが、かなり優秀な成績を収めてきた。100点満点中、90点という成果。ラッキーショットだと素人には言われるが、個人的には必然の結果であったといえる。何しろ僕の過去5年のアベレージは83.11(82/84/82/86/82/78/84/80/90)点。大体、知り合いの平均点は60点前後。

今までは、射撃中、どうしても圏外弾(0点)が1発ほどあったのだが、今回は全部圏内に全弾を命中させることができた。1発の圏外弾を4~5点にもってくることによって、実質4~5点のボーナス。この結果90点という金星を取ることができたのだった。

今まで圏外弾を払拭できなかった理由ははっきりしている。

それはメンタルだ。

決して過信ではなく、自分には人より少しばかり射撃のセンスがあるのはわかっていた。しかし、僕の弱点として時間制限射撃による、気持ちの焦り、集中力の希薄化、呼吸の乱れ、引き遅れ。これらのが、圏外弾の原因となっていた。

準Aクラスから完全なAクラスとなるべく、さまざまな要因を綿密に分析し、練習に取り組み、今までがんばってきた。そして今回の射撃に望み、成果を残すことができたのだ。これで5年連続Aないし準Aクラスである。

射撃が当たらない下手くそというか馬鹿はこの辺の課題を分析、細分化ができないため、射撃のメソッドが確立できないのだ。ただ獣のようにバンバン引き金を引くだけじゃ、ただの金の無駄遣いである。戦国時代の鉄砲足軽でさえ、もうちょっと大事に撃っていたと個人的には思う。

射撃というものは本当に面白い。理論立って、原因と結果を分析すれば、自ずと成果が出る。射撃とは単に人を殺すための所作でもなく、ただのスポーツでもない。己と向き合い、己を高める言わば武道に近いものと自分は考えている。また来年度も撃ちにいくので、慢心せずまたがんばりたい。

困難に打ち勝ち、成長を感じれるのは大変愉快なことである。

口からでまかせで口先でかませ

会話には機微というものがある。しかし、ほとんどの人はそれを知らず、使うこともない。そしてそれを感じることもできないし、知ろうともしない。

私の職場に気難しい上司がいる。言ってる内容も支離滅裂で、かなりの気分屋。しかもすぐカッとなるタイプで、つまらない理由で若手や後輩が怒られているのをよく見かける。若手や後輩からしてみれば、恐ろしくて、腹立たしい存在である。そう、若手や後輩にとってはね。

そんな上司と、私は外回りをすることがよくある。

半日以上、車の中で二人っきりで過ごすことになるのだが、帰ってくると、後輩たちが決まってニヤニヤしながら聞いてくる。「今日はどうでしたか」。ははん。こいつらが聞きたいことはわかってる。"気難しい上司と一緒でさぞかし怒られたでしょう" これが言いたいのだろう。

アホか。

こういった手合いに怒られたり、指導されたり、機嫌を悪くされたりするのはマヌケだけ。実際、私とその上司の外回りは終始和やかで、怒られたことなぞ一度たりともない。場合によっては、ニッコニコでアイスを奢ってもらったりするほどだ。

通常、外回りは二人体制だが、これに+1名、後輩がひっついてくることがある。終始穏やかな上司と私のやり取りを見て、後部座席から後輩はいつも不思議に思うそうである。"なんで今日はこんなに機嫌がいいのだろう"と。

アホか。いっつもそうだっつうの。

「それははむらさんが気に入られてるからでしょ」と反論してくるやつがいるけど、ばかやろう。なんで気に入られる位置まで自分を持ってこれないのか。会話というのは、言葉の応酬だけじゃない。場のセッティングや雰囲気、必勝のパターンへの持っていき方。様々な要素が複雑に絡んでいる。

これが如実に表れたのが休日出勤の件だ。

怠惰な連中は、社内のある検定で不合格になっており、その再検定の日が某金曜日だった。不幸にも不合格の烙印を押された何人かは、その某金曜日が勤務上、休日となっていた。しかも再検定の日は動かせず、休日に出勤してこなければならない事態になっていた。

検定をする側だった私はこれは不憫に思い、わざわざ例の上司に調整を行っていた。検定も大事だが、わざわざ休みの日をつぶしてまで受けることはない。

休日出勤させた上で、代休の処置を取らせてもらい、別の日に休日をもらえるように、上司の確約をもらった。もともと再検定の日は決まっており、上司の勤務割表の作成ミスに近かったので、了解を得るのは容易いことだった。

ちなみに、検定に落ちるのは仕事をナメまくってるレベル。

そして、上司から代休処置を取る許可を受けた旨を受験者の後輩に伝えると、「あ、そうなんすか」みたいなマヌケな返事が。こいつらは、私が黙っていたら休日にわざわざ再検定を受けにくるつもりだったのか。まぁそれならそれでいいんだけど。

代休の処置(書類の申請など)は私がやる義理はないので、直接上司にその旨を伝え、自分でやるようにその後輩に言ってやった。なんてやさしいんだ。

さっそく隣の部屋の上司の元へ後輩が話しをつけに行った。

すると、隣の部屋から怒号が飛んできた。

 「検定落ちてるんだから、休日だろうがなんだろうが再検定を受けるのは当たり前だろうが!!」どうやら、話のとっかかりでいきなり「休みを取らせてください」というような言い方をしたようである。言い方を間違えることはよくある。それ自体は決して間違えじゃない。が、後輩の口からとんでもない一言が。

「いや、だってはむらさんが…」

おいおい。そこで私の名前を出すの。いや、いいんだよ。別に私のせいにしてくれていいんだよ。でもそんなこと言ったら逆効果。「そもそも、なんではむらがお前の休みのために調整にきてるんだ!!  お前のことだろうが!!」と、当然、上司の火に油をそそぐ結果に。

そして、恨めしい目で私を見る後輩。

サッカーでは、ちょっと蹴ってゴールに流し込むだけのラストパスをプレゼントパスという。この後輩は、私のプレゼントパスを盛大に空振り、事もあろうことか、私のパスが悪いと言い出したのだ(口には出してないが)。

まぁ、後輩はこってりとしぼられた後、なんとか代休をもらうことができた。

その後輩は、文句をぶつぶつ言っていた。私はそんな後輩を見て、心底哀れに思うとともに、そんな哀れみから無理に後輩を救おうとせずに、十分に哀れみに打ちひしがれることこそが後輩のためになるのだろうと確信した。これから人生辛いと思うけど、がんばれよ。

付け焼刃や生兵法は大怪我の元という慣用句やことわざがあるが、私のセンセーションが、かえって後輩や他人のためにならないということが今回よくわかった。私は、私を私のためだけに使おうと強く思った。

そして、私は何も痛まない。