オリオンの空は燃えている

昭和が生んだ怪物はむらケンジのほのぼの日常系ブログ

我が家のお好み焼きにまつわる真実

みんな大好きお好み焼き。広島県民の私にとって、お好み焼きとは避けて通れない存在である。それは単に私の認識や意識だけでなく、周りの人にとって広島出身の私に対して=お好み焼きというイメージがあるわけで、周りの人々から広島風がどうだとか、広島で美味い店はどこだだの、聞かれるのは日常茶飯事だ。

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本題に入る前に、私のバッググラウンドについて少し語らなければならない。

私は自称広島出身で地元も広島を名乗っているが、正確な出生地は沖縄県である。父は山口県、母は広島県出身なのだが、公務員で転勤族だった父に帯同し、沖縄0.8ヶ月、兵庫3年、三重県4年、広島9年、ここで大学に進学し、京都4年、広島で就職、広島1年、転職し、広島4年、そして現在は拠点を関西に移し、もう6年になる。

要はなんちゃって広島県民なわけだが、実家は広島にあり、年末年始やお盆には広島に帰省している。なんちゃって広島県民も結構大変で、プロ野球も見ないからカープの話なんてわからないし、サッカーは好きなのだけれども、海外サッカーが主でJリーグなんて、ましてやサンフレッチェ広島の試合なんて見ないし、広島にまつわることで苦労が絶えない。

そんな、にわか広島県民でも、私の実家のおかしなことに気づく。

私が物心ついた頃からお好み焼きは、うちの実家の定番の晩飯メニュー。お好み焼きをおかずに何杯ものご飯を平らげたものだ。え、ちょっと待てよ・・・。お好み焼きをおかず・・・?そう、普通、広島県民にとっては、うどん、スパゲッティ、ピザといったように、お好み焼きは主食であり、おかずという概念はなく、お好み焼きをおかずに食べる行為は広島県民にとっては邪道なのだ。※関西風はお好み焼きをおかずに白飯を食う。

そもそも広島風お好み焼きと関西風お好み焼きは似て非なるもので、その製造法は大きく異なる。簡単に説明すると、関西風は生地の中に具材を練りこみホットケーキのように焼き、広島風ハンバーガーのように具材をサンドして焼く。

広島県の人に広島風お好み焼きっておいしいよねと言うと激怒する。それは例えるならアメリカ人が日本風すしっておいしいよねと言ってるのと同じことで、すしは日本のものであり、日本風もクソもないわけで、同じように広島県民にとってお好み焼きは広島のものであり、広島風もクソもないわけである。

そんな広島県民が毛嫌いするお好み焼きをおかずにご飯を食べる行為を、私の家では平気でやっていた。再度の確認になるが、私の父は山口出身で、母は広島県出身である。なぜそんな行為がまかり通っていたのか、そう、それは我が家で出るお好み焼きが関西風だったからである!家庭で広島風は作れないのか。そんなことはない。手間がかかることは間違いないが、家庭でも広島風お好み焼きは作れなくはない。

では、なぜウチで出るお好み焼きは関西風なのか。

ふとある時から疑問に持つようになった。ひょっとして母は広島県出身でありながら、アンチ広島風お好み焼きなのだろうか。面倒くさいから関西風なのだろうか。今までず~っと気になっていた。そんな疑問を今年の年末年始休暇で帰省したときに母にぶつけてみた。

「なんでウチは関西風お好み焼きなの?」

一瞬戸惑いを見せた今年70歳になろうとしている母が口を開く。「初めて食べたのが関西風だったから」衝撃的である。話をかいつまむと、広島の北部(現在でいう北広島町)というド田舎に住んでいた母は、お好み焼きなどという”都会”の食べものは食べたことがなかったそうだ。そんな母が就職して、市内に移住して初めて食べたのが「徳川」のお好み焼きだというのだ。

ちなみに「徳川」は広島県を拠点としチェーン展開するお好み焼き屋さんだが、関西風お好み焼きを提供する異色のお店。その起源は、関西風お好み焼きのお手軽さに衝撃を受けた社長が、自分で焼くお好み焼きの楽しさを知って欲しいという思いから敢えて関西風を提供するようになったそうな。※お店に行って注文すると生地だけ渡されて目の前の鉄板で自分で焼く、ちなみに広島風のお店だとこれはあり得ない。

ド田舎の母が街で初めて食べたお好み焼きが関西風だった、これは衝撃の事実。この時から母の中ではお好み焼き=関西風になってしまったというわけだ。そして、結婚を経て家庭で料理のヴァリエーションを増やすためにあの美味しかったお好み焼きを作ることを思い付き、そのお好み焼きを再現するのに関西風になったのも当然の話。

そんな家庭で過ごした私の中でもお好み焼き=関西風なのは必然であろう。”広島風”という存在はもちろん知ってはいたが。かくして、実家で出るお好み焼きが関西風である理由が明らかになり、ド田舎出身の母が都会に行く切なくもかわいいエピソードも聞けてものすごくスッキリした。母もいつまで生きてるかわからない。お好み焼きにかかわらず、疑問に思ったことや聞いておかなければならないことは素直に聞いておこうと思う。

ちなみに次に聞こうと思うのは「死ぬまでに一度だけでも行ってみたい場所」である。

激震包囲背信放棄

「6年間お世話になりました!」

私の職場に、長年いた先輩、本木さん(仮名)が春の定期異動で、新天地(違う部署)に旅立ってしまった。最後の挨拶で本木さんは「これまで自分のやりたいように仕事をさせていただいた上司には感謝してもし切れない。これからもがんばります。」という力強い言葉を遺して旅立っていったのだった。大役をやり遂げた先輩の背中は、とても頼もしく見えた。

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が、その僅か3日後に事態は急変する。

本木さんの代わりに仕事を引き継いだ私の後輩が突然叫びだす。後輩自身の机の前で、三度叫んだ。三度も…!「ええぇ!?」「ええぇっっ・・!?」「えぇ・・・っ!」後輩の最後の叫びは、そんな馬鹿なという動転する気を押し殺したような叫び声だった…。

業務を引き継いだ後輩の書類確認により、本木さんの、実に6年に渡る杜撰な業務が明らかになったのである。

もちろん、ここで詳しくはかけないが、ニュアンスだけ伝えさせていただく。あくまでもニュアンスであって、事実とはまったくリンクしていないので、ご了承いただきたい。例えるなら、そう、本木さんは、食材を給仕する仕事をしていて、6年にも渡って賞味期限切れ(消費期限切れではない)の食材を料理人に調理させおり、従業員はその出来上がった料理をお客さまに提供していたのだ。

明らかな会社の規則違反だった。

度重なる検査や監査にもクローズアップされず、6年間、この偉業を本木さんはやってのけたのである。はっきり言って狂気の沙汰である。このお粗末な犯罪を犯して(見つけられなかった方も見つけられなかった方だが)、このまま異動で逃げ切れるとでも思ってたのだろうか。

本木さん本人は「(処置を)忘れていた」の一点張りだが、随所に故意的に書類を改ざんした後が散見される…。残念ながら本木さんの公的な処分は免れないだろう。もしかしたら料理を提供した料理人、従業員、それを監督していた上司にも処分が及ぶかもしれない。

私も、例えるなら、1回か2回だけ、料理を運ぶ手伝いをしたことがあるので、私も何らかの処分を受ける必要があるかもしれない。が、そんなことはもはやどうでもよい。

本木さんは、私が若いころ(今は出世して本木さんは下の立場である)には、私が会社の調味料を使うのが面倒くさくて、amazonで買ってきた調味料使って調理してみようとしたときには、鬼のような形相で私を罵倒し、大勢の人がいる前で辱め、正しい仕事のやり方を教えてくれた。ありがとう。

そして単純にこれと比較するなら、本木さんがやった行為は、極刑、即射殺ものの大失態である。しかし、当の本人はニコニコ様子がおかしい…。今の職場から呼び出されて、前の職場で事情聴取を受けている本木さんが、事情聴取の合間に私を見つける…。そして、私に話しかけてきた!

「はむらくん、スティッククリーナーいる?」

文字に興すと、何を言ってるんだという感じだが、私は見た。顔は紅潮し、虚ろなその瞳を。本木さんは精一杯、精一杯の強がりで私に掃除機を託そうとしたのである。私の中では漫画『カイジ』の鉄骨渡り編の、カイジにチケットを託そうとする石田と完全に一致した。

哀れすぎる…。

定年まであと数年というのに、あと数年逃げ切れるとでも思っていたのか…。そして、界隈が大事になっているのを知っているのか知らないのかわかりませんが、「掃除機持っているので、要りません」とゴミクズを見るような目で私が本木さんを見ていたことに本木さんは気づいていたのか。

「人の振りみて我が振り直せ」という諺があるが、私にも無意識に自分の都合の悪い事実から目を背け、犯罪まがいのことを犯していたりするんだろうか。こうやって公然と本木さんを批判する私も、数日後に脱税で捕まったり、女子高生と援助交際して捕まったり、するかもしれない(しないが)。

人っていうのは本当にわからない。わからないのである。

「自分のやりたいように仕事をさせていただいた上司には感謝してもし切れない」

本木さんの後始末のため、毎日0時近くまで残業をしている後輩を尻目に帰宅してキーボードを叩いているときに本木さんの異動の挨拶の言葉が、ふと思い出された。

最後のピースがはまった、"死"へのカウントダウン

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みなさま本年もよろしくお願いいたします。さて、30過ぎて独身となると、金と暇を持て余してしまいます。

最近専らの趣味だったキャンプでしたが、昨今のキャンプブームと重なりキャンプ場は人で凄い混んでるわ、悪質な利用客のせいでキャンプ場が閉鎖されていくわ、コロナ情勢だわ、でまったくと言っていいほどキャンプに行けず。

色々な理由でキャンプは収束気味でしたが、飽き性の私の趣味の輪は広がるばかりで、ひょんなことからメダカを飼ってアクアリウムを始めてみたり、数年前作りかけだったガンプラを完成させてみたり、元々のインドア指向を遺憾なく発揮しているところです。

仕事のほうも、私が○務員ということもあり、官公庁の指導に則った事業の廃止や在宅勤務など、拍子抜けするほどまったりさせていただいております。飲食・サービス業の方々は大変苦労されていることと思います。私も上記趣味で色々なところにお金を落としているのでご勘弁ください。

で、話の本題なのですが、大好きな趣味であるキャンプにずっと違和感を感じていました。よく他人から「ソロキャンプで何するの?」などと聞かれますが、究極的には「食って寝る」だけなんですよね。いくら道具の改善が~とか、重量が~とか言っても、結局は自分からそういう状況を作り出してるマッチポンプ、「ゴッコ」にしか過ぎないんですよ。

わざわざ冬の寒いキャンプ場に自分で言ってその状況を道具や工夫を駆使して克服している。そこに悲しいかな、必然性はなく、結局「家でいいじゃん」という意見に押し切られてしまうのが現状です(キャンプ場でしかできない調理や遊びももちろんあります)。

「キャンプしたいからキャンプする」という無敵の論法もあるのですが、私はずっと腑に落ちていませんでした。最高の遊びであるという確信はありましたけども。

ある日、仕事で宿直していたときに、―きっかけは忘れましたが、学生のときに立ち読み程度で読んでいた『孤高の人』(ヤングジャンプコミックス)を全巻読み直して見ようとふと思い、ベッドに入ってから寝るまで間で全17巻一気に読んでしまいました。

電子書籍って便利だね!

当時は、「意味わからん漫画だな」と思っていましたが、面白い。かなりの傑作だということがわかりました。あらすじ等は省かせていただきますが、とにかく衝撃を受けました。ジャンルとしては登山ものなのですが、『孤高の人』に憧れて登山を始めて死んだ人がいるくらいです(おい)。

とにかく、私は決めました。登山をやってみようかなと思います。

キャンプは手段であって、目的ではないということ。いつの日は私は、キャンプが目的のキャンプに対して魅力を感じないようになっていました。しかしここに登山というエッセンスが加わることで、キャンプ(テント泊)がより一層面白くなるのではないのか、という結論に至ったのです。

単純に登山すればお腹も減りますし、美味いメシが食えるのではないでしょうか。会社の上司に誘われて行った「六甲全山縦走」を完歩したときも、また機会があれば…と思っていたのも事実で、ずっと引っかかっていたものが、取れた気持ちです。

無茶して死なない程度にがんばりたいと思います。機会があればその様子もお伝えできればと思います。今日はその決意表明でした。